2010年7月2日(金)

世のため人のため

 
 

日本赤十字HPより
「第43回献血運動推進全国大会 
     体験談発表 安永 真由美さん」

平成10年4月に、今まで病院とほとんど縁のなかった主人が突然入院してしまいました。病名は「急性リンパ性白血病」です。それが血液のがんであることを知ったのはその時です。「なんで?なんで主人がこんなことに・・・」私は信じられませんでした。テレビで病名を聞いたことはあってもどこかで他人事のように思っていました。

すぐに福井市にある済生会病院に転院になりました。県内ではあるものの自宅からは高速道路を走っても2時間半くらいかかります。また当時、上の子はまだ2歳になっておらず、私は妊娠中でしたので、週1回程度顔を見せるくらいしかできませんでした。検査のための骨髄穿刺は大変な痛みをともなうようで、お医者さんはなかなか覚悟ができない主人を世間話などもしながら根気強く見守ってくださり、看護師さんは私のかわりに痛がる主人の背中をさすってくださって、ソーシャルワーカーさんにも色んな面でお世話になり、あったかいお医者さん、看護師さん、ソーシャルワーカーさんに、主人だけでなく私も随分助けられ、そして勇気付けられました。

翌年1月には、いつでも骨髄移植ができるようにと富山県の病院に転院になり、保育園に行っていた上の子は両親に預け、母乳しか飲んでくれなかった下の子だけを連れて、病院近くのアパートに住むことになりました。
結局、骨髄バンクからのドナーが見つからないため、最後の手段である主人の父親からの適合していない骨髄移植をしました。ベッドから立ち上がるのも自分ではできないようになると、ずっとそばについていなければならなくなり、個室だった事もあり、乳児の入室も許可されました。が、日々体力が落ちていく主人と、昼夜関係なく乳児をみるのは精神的にも肉体的にも苦痛になり、主人の母親と交代でみるようになったものの余裕はなく、心配して度々電話をかけてきてくれる主人の友達にさえきつく当たってしまいました。今思うと、主人に対しても周りの人達に対しても、あの時あんな事言わなければよかったとか、あの時ああすればよかったと思うことばかりです。

医療従事者をはじめ沢山の方に支えられました。そして直接会うことはありませんが、ずっと助けて下さっていたのが献血していただいた方々です。主人はO型でしたが、多い時には10日間の間に60単位の濃厚血小板が使われました。済生会病院では濃厚血小板80単位、富山県の病院では赤血球80単位、濃厚血小板755単位が入院中に使われたそうです。と、言われてもよく分からなかったのですが、後で聞くと赤血球は400ml献血で40人分、血小板は成分献血で1人10単位として約84人分にもなるそうです。必要量を確保するために一生懸命に呼びかけをしてくださった血液センターの方々、そして主人1人にこれだけの方が献血して下さっていたことに驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。

そんな沢山の方々にご協力いただきましたが、入院から1年1ヶ月と10日。平成11年5月に27歳で亡くなりました。まだ3歳と10ヶ月の子供達をおいて逝ってしまうのはどれほどつらかったことでしょう。そして私も涙を流せばどっと落ち込んで何も手につかなくなってしまう性格を自分自身が一番知っているので、とにかく無理にでも毎日笑っていようと、ただただ必死でした。

そして数年後、たまたま献血車を目にしました。私の住む嶺南地区は献血車の巡回は決して多くはありません。しかし、あの時献血車を目にしたのも何かの縁だったのでしょう。「今度は私が、今どこかでけがや病気と必死に闘っておられる方にせめて献血をすることで応援させていただけたら・・・」と、献血をするようになりました。

他の市町村役場などにも声をかけ、献血バスが来るときには予約を入れてもらい、ホームページから献血バスのスケジュールをチェックして、車で1時間位の範囲であれば行きました。それでも期間があくときには他府県の血液センターの献血バスの予定を見て献血をし、都合がつけば母と一緒に行ったことも何度かあります。最近では血液センターに行って献血をすることも多くなり、私にとって献血はもう生活の一部になっていました。

福井県は献血率がトップクラスだそうです。献血への意識向上とともに、共働き率の高い福井県で、さらに若年層の献血率を上げるには企業の協力など献血しやすい環境づくりが不可欠だと思います。

主人が亡くなって早いものでもう8年になりました。最近になって、福井県赤十字血液センターのホームページや今日の献血運動推進全国大会での体験発表の機会をいただき、やっとこうして主人のことも話せる様になってきました。

そして今、私は子供達が通っている小学校へ読み聞かせに行っています。これからの命を自ら絶ってしまったり、相手の命をうばってしまったりという事件が度々起こっていることはとても悲しいことです。毎日学校に通えることは決して当たり前のことではなく、今もどこかの病院のベッドの上で一生懸命けがや病気と闘っている命があること、そして生きたくても生きられなかった命があることを、時には病気で亡くなってしまった女の子の体験を読み、命の尊さを伝えることもあります。また献血によって救われる命があることを分かりやすく伝えるため、他府県の血液センターにも大変お世話になっております。今後は小学校だけでなく、いろんな場で献血の大切さを伝えられれば・・・と思っています。

私の献血はまだ始まったばかりですが、子供達が献血できる年齢になった時、今度は子供たちと一緒に献血をしたいと思います。

今、けがや病気と闘っておられる方と、その家族のみなさんへ
「頑張ってるね。大丈夫。きっとよくなるよ。一人じゃないから、みんながついてるから。」 血液と一緒にそんなメッセージが届きますように・・・

これで私の体験発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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